悲しむ家族と、笑っていた魂
- 鳳 茜

- 2017年9月12日
- 読了時間: 4分
更新日:2月15日
先日、知人が亡くなったので
葬儀に参列してきました。
あまり人様のお葬式の
様子を記事にするのは
どうだろうと思ったのですが
とても印象的な葬儀だったので
書いておこうと思います。
知人と言っても、義父の友人で
年に1度会うか会わないかの
ご年配の方だったのですが
いかにも江戸っ子っていう感じの
面白くて明るいおじさんで
個人的には、年に一度でも
お会いできると嬉しい方でした。
宗教には無関心だったような
気がしましたが、葬儀が神式と聞いて
改めてそのお人柄が気になり
お葬式に参列することにしました。
お葬式開場に入って席に着き
私が落ち着いていると、次々と
参列者が入ってくるのですが
みなさん当然ですが、表情が悲しそうです。
でも、それを笑顔で迎えてくれたのは
亡くなった知人でした。
亡くなったばかりだと
混乱してて自分の葬儀を
見れない場合もあるって
聞いてはいたけど、
おそらく亡くなった知人は
死後の世界について
おそらく理解していたのだと
思います。
とてもあっけらかんとしていて
ショックで泣いている友人たちに
「あ~もう、そんな泣かないでよぉ~」
「オレ、全然平気だからさ~!」
という感じで、
そばでなだめたり
久しぶりに会った友人たちには
「わ~来てくれてありがとうーねー!」
という感じで、思いのほか
おもてなしを楽しんでいました。
神式の葬儀はその日が
人生初だったので
作法に不安があったのですが
かしわ手を無音で行う以外は
神社の参拝とほぼ同じで
仏教よりも親しみがありました。
普段、よく神社へ行くので
それが葬儀になると
ちょっと不思議な感覚でしたが。
祭主(神主)様の祝詞が始まると
あまりの高波動に
数名の方が眠てました。笑
私も気持ちよくて
眠気との狭間で、ふわ~っと
眠くなりそうでしたが
やっぱり葬儀なので
祝詞が終ると部屋の波動が
ちょっとずつ落ちてきます。
玉串奉奠(たまぐしほうてん)
(=仏式の焼香にあたるもの)
が終って、喪主様のご挨拶に
なると、それがピークに達し
肩がズーンと重くなりだしました。
というのは、喪主の方が
亡くなられた方の息子さんでしたので
当然心中穏やかでなく・・・
亡くされた悲しみが大きいために
それに引っ張られて開場の波動が
一気に傾いてしまったからです。
そして
息子さんが話されている時
お父さまとの記憶の断片映像が
いくつか見えました。
とても仲が良かったみたいで
良い親子関係という印象です。
亡くなった知人も同じように涙ぐんでは
時々、話の途中で
「なに生意気言ってんだか!(笑)」
という突っ込みを
息子さんに入れつつも
どこか誇らしにしていました。
あとは(息子さんに)任せるよ、
という気持ちで旅立つ準備を
をされていました。
そしてさらに
最後のお別れの時に
たくさんのお花をご遺体のまわりに
お供えするのですが
ご遺族の悲しみが更にピークに。
でも、亡くなった知人は真逆で
みんなのそばで
「もぉ~そんな泣かないでいいからさぁ!
てゆーか、オレ、こんなに花に
囲まれたの人生で初めてだわー!(笑)」
と、明るく笑っていて
すごいギャップでした。
江戸っ子のような性格の男性が
花に囲まれるのって、確かに
ちょっと不思議な感じでしょうね。
笑っていいのか、いけないのか
とても複雑でしたが・・・
亡くなられた知人が
死を理解してその場にいるってことが
何よりも恵まれた環境だなと思いました。
物質的な肉体は消えはしましたが
霊的には、何も失うものはないし
亡くなってもご本人はずっとあの世から
ご家族を見守ってくださることでしょう。
この知人もきっと守護霊(先祖霊)
として活躍されると思います。
逆に言えば、いつも見守っているので
いつまでも悲しんでいるのではなく
一生懸命に生きて、恥じない人間に
なれたら、亡き人への最高の贈り物
恩返しになるのではないかなと思います。
とは言え、物理的に会えない寂しさは大きいですが。
先日、瞑想中に
私を見守ってくださっている
大勢の霊団を拝見しましたが
一人ひとりに、きっとたくさんの
サポート集団がいると思います。
本当に温かく見守ってくれていて
言葉では表現のしようがありません。
とにかく涙が溢れてくるほどでした。
本当の意味で
愛してくれる人たちのために
感謝を忘れずに
毎日を誠実に生きていきたいですね。

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